アーティストインタビュー

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武田 州左 先生

武田 州左 先生

静と動は常に表裏一体、バランスを取りながらどちらも大切な要素として描いています。

 現在多摩美術大学教授、創画会会員の武田州左先生のアトリエを訪ねて、お話を伺いました。

( 聞き手 顧 定珍)


● 武田先生には2013年夏の『形象展』で、他4人の先生方と共に出展いただいて以来、個展の開催を待ち望んでおりましたが、ようやくこのたび実現出来て嬉しく思っています。 先生はもともと様々な画材をお使いになられていますが、日本画を大学で専攻された経緯などをまずはお聞かせ下さい。
武田:始めは油絵のコースで美大へ進むつもりでしたが、高校生の頃、当時芸大の建築科にいた兄と二人でニューヨークへ行った時にメトロポリタン美術館へ何度か通う内、それまではあまり興味が湧かなかった東洋美術の展示室で、今まで感じたことのなかった風通しのよさ、朝日を浴びる様な新鮮な感動を受けました。
そこで日本画を学びたい気持ちが急速に強まり帰国後すぐに予備校のコースを変更したくらいです。油絵の名画に圧倒されて、半ば西洋画を学ぶことへの諦めに似た部分もあったかもしれませんが。(笑)
● 絵を描くことで表現したいこととは。
武田:日本画を描く上で大切にしていることのひとつに、制作中は常に自然と対話しながら作品に向き合いたいと考えています。人間はあくまでも自然に生かされているという意識を持つことでしょうか…。岩絵具や和紙は作られる土地の風土性が特徴として表れ、日々変化する温度や湿度で和紙は伸縮し、絵具は溶き具合で発色や表情が違ってきます。思いあがっては益々自由にならず、決して思い通りにコントロール出来ないところにこの画材の魅力が隠されている気がします。
● 日本画の奥深さを感じますね。
武田:かつて先人達は現代のような多種多様な画材が無い中で、独自の工夫をかさね表現していたと思います。例えば「紫」という絵具がなかった時代、光琳の『燕子花図屏風』などに見られる色作りには驚かされます。

 

武田 州左 先生

〈アトリエで制作中のアーティスト〉

 

● 20代の頃は「不在の構図」シリーズ、「DONCHO」シリーズという流れがあって、30代になって、現在の「GLOBE」、「GLOBE光」シリーズが生まれるわけですが、かなり表現も変化してきたようですね。

武田:父(注1)の作品を見に来た美術評論家の針生一郎先生がたまたま僕の絵も見て下さり、「忍者屋敷みたいな絵」と表現されたこともあります。親しくさせていただいていた小説家の小島信夫先生(注2)からは「まるで劇場だね」と言われたこともあります。

●「忍者屋敷」、「劇場」? 今に至る変遷がいろいろあるのですね。
武田:その頃は直線的な図形が幾重にも連続する無機的な表現で、色合いも黄土系が全体を占める作風でした。
続く「DONCHO」(緞帳)のシリーズは、その劇場という言葉から発想を得て生まれた作品です。時期を同じくして、今に続く動きのある有機的な表現に変貌するのですが、朱色を中心に原色を多用し始めたのもその頃からです。
● その時代の赤は一連のシリーズの中で『〝生〟へのエネルギー』と形容されたりもしましたが、私は先生の最近の作品の青も好きで、宇宙的な広がりを神秘的に感じることがあります。新作ではむしろ寒色系が印象的です。
武田:緑青、群青を赤にも増して用いる作品は近年増えています。根底に流れているものは変わっていませんが、若い頃は力づくで描いていたところがあったように思います。
〝想い〟が強いゆえ絵肌も厚く、色も原色を好みましたが、徐々にそうした〝自我〟の部分を少し客観的にとらえることができるようになると、薄塗りでも弱くならない、透ける層でも浅くならない表現を意識するようになりました。ようやく自然に身を委ねる感覚が見えて来たのでしょうか。
● 動的な激しくほとばしるイメージと、静かなまなざしでとらえた精神性とでは、どちらに思いが込められることが多いですか?
武田:静と動は常に表裏一体だと思います。バランスを取りながらどちらも作品の大切な要素として描いています。セザンヌの静物画を鑑賞していて、静けさが支配していた感情の中に次第に熱いものがこみ上げてきた経験があるのですが、そのような表現が出来ればとも思います。
● 今後挑戦してみたいことがあれば。
武田:何か違うことを試すというよりも、現在の仕事はこれからも如何様にも展開できると思いますし、日本画表現において素材から教えられる事がいまだに多く、画面と対話しながらこれからも探求し続けていくことに変わりはないと思います。ただ、作風の変化が年代毎にあったように、決して自己模倣にだけはならず描いてゆきたいと思っています。

※注1:クガ マリフ(本名・武田晶) 1931年生まれの現代美術のアーティスト。38歳で早逝した。
※注2:小島信夫(1915~2006年)武田先生の作品も所有されていた芥川賞受賞作家。

 

ギャラリー通信#94(2016年7月) インタビュー記事より