アーティストインタビュー

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山田 りえ 先生

山田 りえ 先生

内側から輝いているスピリット・本体の輝きを描きたい。

山田:鏡の中のこちら側にあるものが「花」であり、人物表現は鏡の内側みたいな位置づけで、 形は違って見えますが表裏一体で同じものです。


● 画家を目指すようになったきっかけをお聞かせ下さい。
山田:絵が好きでしたから、絵が描ければ何でも良かったのです。絵は幼稚園の前から描いていて、親が言うには、
「おとなしくさせておくには、紙と鉛筆を渡しておけばよかった」と。 高校で美術部に所属していた頃、油絵の具の臭いが苦手だったこともあり、日本画の道に進みました。デザインの分野にも興味があって浪人したらデザイン科に転向しようと思ったり、イラストを描いたりもしていました。

● 高校の美術教師をされていたときのエピソードをお聞かせください。
山田:生徒たちからはちょっと年上のお姉さんのような感じだったと思うのですが、一緒に遊んでもらっていました。(笑) 先生や生徒さん、周りの方々からとてもよくして頂いて、当時お世話になった方々に今でも支えられています。 あの時教師になったのは今振り返ると「運命」みたいなものでした。

● 多摩美では加山又造教室ご出身ですが、現在にどう活かされていますか。
山田:加山先生の他にも堀文子先生など先生方には同じ制作に携わるものとして接していただき絵描きの生き様というものを、目のあたりに出来たことがよかったと思っています。 一番影響を受けたのは、「描かれざる大作を描くな」と加山先生がおっしゃったことです。素晴らしい絵を観ると「自分もあんなすごい絵を描いてみたい」と思うわけですが、自分に返ればものの見方も浅いし、技もついていかないわけです。それで考え込んでしまって描けなくなる人が多いと言われました。 「絵は具体的なものだ。誰の目にも見える具体的な形にしていかなければ先に進めない」ということをおっしゃっていたのをよく覚えています。

 

山田 りえ 先生

● 描く対象として何が一番楽しいですか?
山田:どれも楽しいです。(笑)人物表現に関しては、なぜか「この世ではない」みたいな表現になってしまいます。鏡の中の内側と外側というか、鏡の中のこちら側にあるものが「花」であり、人物表現は鏡の内側みたいな位置づけで、形は違って見えますが表裏一体で同じものです。 人物表現で、絵画における象徴言語みたいなことを追っているときは本当にワクワクします。そしてそれを外側で支えているのが、植物とか誰でもわかるものなのかなと思います。
● 色彩に関するこだわりとは?
山田:怪我で指や腕を無くされた方が、もう失ってしまったのに感覚として指や腕を感じていることがありますよね。私はむしろそちらの方が本体だと思っています。 肉体や目に見える形にとらわれない内側から輝いているスピリット・本体の輝きを描きたいと常々考えています。植物などもそうですが、虫に食われていても、本来あるべき姿は完璧だと思うのです。それを現す具体的な方策として、より鮮やかな、より発色の良い色彩を使いたくなります。
●「生きていることの実感が希薄」ということを以前おっしゃっていましたが、日常でもどこか別世界から自らを見ているような意識をお持ちなのでしょうか。
山田:そうです。自分=肉体と感じているのが普通だと思うのですが、私の感覚では自分は容れものであり肉体部門なのです。(笑)別世界というよりはまわりの 世界が私と言う肉体を使ってモノを見 ている。人は世界というものを自分の 見方でしかとらえられない訳です。で、世界は自分。自分=世界。自分があまねく世界に遍在している感覚を覚えます。
きっかけは、若い頃に圧倒的な幸福感に包まれた夢を連続して見たことです。言葉でいい表しにくいのですが、何ひとつ足りないものはなく、何ひとつ多いものもない夢でした。当時、袋小路に入っていたのが、霧が晴れるように腑に落ちたのです。現象として見えているこの世界は全てではない。目に見えるこの世界の下には広大な海が広がっていて、波立っていても海自体はとても美しい。その美しい世界を描きたい。その水を汲み上げて飲める形にし、目に見える形にしたいと思ったのです。
● 昨年発表された人物画には、神秘的な要素が溢れていましたが、これからの重要なモチーフとして考えていらっしゃるのでしょうか。
山田:人物画は自分の中心というか根底にあるもので、それを伸ばし描いていかなければ死ぬに死ねない。(笑)
悔いが残ると思ったので、ここ数年腰をすえて人物を描き始めました。
表紙絵についてですが、十二天(仏教での守護神で十二方位を護る)の内の「水天」を描きました。
近年、水に関連した災害が多いので、人智の及ばない、目に見えないものへの敬いといいますか、それを鎮める気持ちを表現したいと思ったのが動機です。若い頃、京都国立博物館で「十二天」を観たときに衝撃を受けて以来、いつか何らかの形で私も描いてみたいと思っていました。仏教で「十二天」を部屋に掛けてする法要があるのですが、本来あるべきバランスのとれた世界になればいいなという願いもこめています。

ギャラリー通信#72(2014年6月) インタビュー記事より