アーティストインタビュー

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沈 松徳 先生

心の理想郷を求めて ~沈 松徳の世界~


沈 松徳の画面には、くつろぎの大気がある。
数歩退いて全体を眺めると、空と大地をつなぐ優しい大気、草木のかげに憩う生きものたちが、
ざっくりとした幾何学的な画面構成のなかに見えてくる。
大胆に選ばれた色合い、控えめなデフォルトが魅力になっている一方で、画家に見えている広大な情景は何ひとつ省かれていないようにも感じる。
優しく柔らかな色のなかにたたずむ生きものは、描いてもらえてうれしそうだ。

「今でも自然観察には熱中してしまいますが、実際に画面におこしているのは自分の心のなかに見える風景です」。
雲母のシックな輝きにも似た穏やかな笑みをたたえて、画家はそう語る。

 

■洋画と、中国画のカクテル

中国有数の歴史文化都市であり、また美術学校の多さでも知られる湖北省の武漢市。
この地に生まれ育った沈 松徳が初めて絵筆をとったのは小学4年生のときだ。
文化大革命にあえいだ時代のこと、父親の反対を受けながらも、親しんだのは洋画だった。
その頃制作した人物デッサンや風景スケッチ、静物画を重ねると、子どもの背丈ふたつ分の高さになったという。
同時に、油彩や水彩、グァッシュに手をそめたこの時期、色彩感覚はぐんと磨かれた。素晴らしい師との出会いにも恵まれ、
中学生の沈少年は絵の道に生きることを決意する。

武漢の美大に進学すると、中国画の基礎には欠かせない墨絵や工筆画と向き合った。
中国画では線が命で色は二の次。それまで洋画で鍛えた色彩観をいったん脇に置き、線、すなわち形との格闘が始まる。
それはやがて、洋画の広がりと中国画の伸びやかさ、岩彩の色みを融合できないか、という考えに発展した。
風景や名勝を数えきれないほどスケッチした経験とともに、この頃生まれた創作の原点が、現在の画風を導くことになる。

 

■浄めた筆から生まれる世界

1985年、画家が30歳のときに最初の転機が訪れる。

国が開放的な政策に移行し始める80年以降、「今の時代の絵を作ろう」、「今後の絵画の展望を考えよう」と
美術を志した湖北省の若者たち数百人が「85美術新潮」という団体を結成し、自費で数十回の展覧会を開催した。
中国美術家協会は同年、彼らの功績を認め、50点の作品を選び、優秀作品展を中国美術館で実施した。
複数も認められた激戦の中、沈は3点の入選を果たす。

この栄えある入選は、ジャンルを超えて描く画家・沈 松徳の自信となる。

「今も、浮かんだ構図をざっと下書きしてから筆を持ちますが、とにかく肩の力を抜いて、過程に身を委ねるのです。
仏教は制作のヒントになることが多いですね。
描く前に座禅を組み、心を浄めて画面に臨めば、おのずと、自分の心境と一致したところで筆が止まります。
何かに似せようとせず、流されもせず、心のなかにある情景を描けば、観る人が自由に想像できる余地が残ります」。

工筆画には「三翻九染」という言葉がある。
これは、1本の筆で色をのせたらすぐに別の1本でその色をぬぐい、細やかな色の重なりを作る工筆画のルールを指す。
沈はこれにヒントを得て、淡い色を細い線でうすく、何層も重ねて色の面を作る。
仏教に対する敬虔な姿勢、工筆画の精神的な手法から生まれてくるのは意外にも、ヨーロッパの印象派を思わせるような自由な明るさなのだ。

 

■自然の法則から命の輝きまで

画家の芯にしみ込んだ世界観には、新たな出会いも絶えず訪れる。
木の梢が突風をどうしのぐか、冬にはどう枯れていくか――つぶさに観察してきた作家にも、自然への見方を変える転機がやってきた。
ひとつは、色の変化だ。生々しさには程遠かった画風に刺激を与えたのは、雲南省・昆明の熱帯雨林だった。

「まるで絵の具を撒き散らしたような、それは鮮やかな花々が地面を覆っていました。
大自然を賛美する生命の輝きを表現したい、そう思うようになったのです」。

この出会いによって、これまでの淡白で中性的だった画面は、生命の体温をより強く伝える画面に変化した。

「普遍的な大自然、万物を生み育てるおおきな家のような地球、それらの不思議な調和を再現しようとすると、
想像をはるかに超える表現が生まれてきます。画家にとって、昨日の自分のコピーはあってはならないこと。
平静な心で塗り重ねていくのですが、いったいどの色にいきつくのかは自分でも毎回新鮮で楽しみなのです」。

日本での展覧会を始めてから4年、作品を通じて心を理解されている、と感じることが何よりもうれしいと語る沈 松徳。
彫刻制作時に起きた事故で左目は像を結ばなくなったが、幸いにして残された色覚はますます鋭さを増しているという。
近年は「遊び心を使えて楽しい」という陶芸も始めた。
今後もこの画家はいくつもの次元から、形を超えた心の出会いを続けていくはずだ。

 

ギャラリー通信#10(2006年11月)記事より