天使はそこにいた
鮮やかな色がおどる画面に、無邪気に遊ぶ子ども。
観る人が笑顔になってしまうような明るさには、画家ホンビン・ヅォーの優しいまなざしがうかがえる。
人物画のなかでも、ヅォーがとりわけ幼い子どもを題材にする理由は、子どもが、神に近い完全無欠の存在に思えるからだ。
「純粋で愛らしくて…子どもはこの世の天使ですよ。大人に近づくにつれて人間は知識がついて、多少なりとも汚れてしまう。
年齢と共に、どうしたってずるさも出てきてしまいますからね。子どもを描いていると、純粋さで浄化されていくような気分になるんです」。
絵のモチーフに出合ったときの鮮烈なイメージを土台に、ヅォーの即興性が動き、色彩という言語が絵筆から生まれてくる。
それが現在、日本でも愛される作品群につながった。
本格的な創作活動のため、オーストラリアで新生活を始めたのが20年前。
愛する家族を母国・中国に残しての淋しいスタートだった。
光が強く、色彩あふれる異国の地で画業に一身をささげたヅォーは、渡豪1年目にして全国規模の名声を得る。
しかし孤独なヅォーに笑顔を取り戻させたのは、画家としての成功ではない。
この画家を癒したのは、公園で偶然出会った子どもたちの無邪気さだった。
芸術は何のためにあるのか?と絶えず考えていたヅォーにとって、これがひとつの解答となる。
「芸術家の使命は『光』『希望』『夢』『平和』『愛』に満ちた世界を表現すること。
そして芸術は『日常生活に「美」を発見して、それを表現すること』じゃないかと思ったんです。
自然の摂理に合うものを描いていけば、おのずと美に通じるのではないか、と」。
自ら座禅を組み、心を静めて絵筆を持つ。
人間を取り巻く大きな世界を感じながら、身近に遊ぶこの世の天使たちを描き、また次世代の画家のことも頭から離れない。
■表現の芯は「徳」
1999年、上海で開催された国際芸術博覧会でのことだ。
作品を展示していたヅォーは、ひとりの若者がヅォーの作品の前に立ち尽くして泣いていたのを見つける。
その若者は、当時流行していた抽象表現に取り組む画家だった。
その若い画家が、ヅォー作品の前で「この豊かさが自分の描きたい方向だったのだ」と泣いていた。
抽象的な表現を展開するにつれて、若者は表現者としての本音にズレを感じて苦しんでいたのだという。
「彼が『あなたの作品を見て、眼からうろこが落ちた。自分の心が求めているものが見つかった』と言ってくれたときはうれしかったですね。 この出会いを通じて、芸術で『真善美』を伝えるのが使命なのではないか、と考えました。
一個人の感覚だけで世界の法則を描ききろうとしたって、とうてい力が及ぶわけありません。
だからこそ、良い作品は、時代を超えて次世代の人々にまでつながっていくし、自分の哲学を次世代に伝えていく意味がある、と思ったのです」。
若いときに積んだ地道な研鑚が、画家の大きな財産になる――実体験を踏まえてそう語るヅォー。
目新しいものを追いかける芸術家にも、古典的な技法を軽んじることなく進んで欲しいと感じている。
視界が曇らないよう気をつけて眼をひらいていれば、美しいものが世界中に、いろんな形で存在していることにきっと気がつく。
それを見つけるには「寛大さ」、ひいては「博愛心」――「善」や「徳」こそが鍵なのだとヅォーは言う。
偏見や思い込みは、美しさの発見を邪魔する。
絵心の芯になる「徳」は、この時代にも画家自身にも必要なのだ。
■芸術は社会の鏡
「不思議なもので、神仏を信じる画家が描いた宗教画は、1000年経っても観る者の心を打ちます。
絵のなかに普遍的な崇高さを感じられるからです。
世の東西を問わず、人間の心やこの世に生かされている神秘を描くことが芸術家の役割だったということでしょう。
それが時代によって千差万別の絵を生み出し、美術史を作ってきたのです。
芸術は社会を映す鏡ですから、社会の発展と並行して、芸術が変化するのは当然です。
でも、どんなにスピード第一のドライな世の中になっても、芸術だけは魂から離れていかないことを願っています」。
時間と体力の続く限り、感動を形にしていきたい。
そのためにはまだまだ技術を磨いていく。
自然の美しいこの国で、自由や平和、美しさや真心の尊さを心ゆくまで表現できる喜びをヅォーはかみしめている。
「私も子どものような純粋さを持つ、成熟した人間をめざしたい」――画家はそうしめくくった。
ギャラリー通信#8(2006年10月)記事より