しなやかに越境する創造者
■科学と芸術の往還
花という馴染み深いモチーフを描きながらも、豪快な筆さばきによって抽象化された江屹の作品。
顔料を基本としながら墨、ときにはコラージュなど、自由奔放に、しかし極度に緊張した濃密な絵画空間を作り上げる。
いまでは中国人画家のグループ「東京画派」の代表をつとめるなどリーダー的な存在だが、これまでの歩みはむしろ独立独歩の自身の芸術の
追究であった。
しかも数々の境界線を超え、縦横にフィールドを拡げることでいまの作風と地位を確立してきた。
江屹は中国の国費留学生として84年に来日している。
近代化され、世界中の美術が流入し、展覧会数もその情報も豊富な日本で美術を研究することを夢見たが、 開放政策がその緒に就いたばかりの当時の中国では、芸術分野での国費留学は不可能だった。
しかし自然科学の分野ならば留学の望みがあることから、工学の分野での留学を果たす。
千葉大学大学院工学部に就学した。
しかしその間の研究はすべて美術から工学、工学から美術を結びつけることに注がれた。
水墨、油彩などの制作体験から、科学者の立場で画材を分析する一方、紙とインクなど支持体と媒材の「浸透」を自身の研究テーマとして 提出した。 90年に博士号を取得。
通常なら本国に帰れば工学の大学教授として安定した道も開かれていたが、美術の研究に邁進することを決め、 東京芸大の絹谷幸二研究室の門を叩く。ここでさらに伝統的な水墨、油彩から最先端の現代美術へと転向していく。
インスタレーションや半立体作品を制作していった。
江屹がアーティストとして表舞台に立ったのは92年の埼玉県立近代美術館の「アジア現代美の旅」展に招待出品されたこと。
蔡國強、徐冰といった中国の代表的な芸術家と同じ土俵に立った。
このときに発表したのが浸透に関する自身の理論を現代美術に応用・実践した作品。
大判の紙にインクで図像を描いた作品だが、それは紙の薄い層の中に閉じ込められている。
表からも裏からも同じように見える不思議な作品だった。この制作手法は独自のもので、「ジャングラフ」という名前で発表した。
「物質を研究していくと、必ずそこに理性というか、人間の精神に通じる発見があります。 それは物の新しい見方でもある」と江屹はいう。
こうした科学と芸術の往還の中で彼は制作していく。
■楚の国の伝統と日本文化
江屹が生まれたのは長江の中流域・湖北省。
秀才を輩出する地として有名で、諸葛孔明もここの出身。
老子、荘子も輩出した。
現在でも大学試験では必ずといっていいほど全国の成績のトップには湖北省出身者がなるという。
国費留学生として来日した江も、周囲から同じ期待を受けていた。
しかし江はこの地のもうひとつの性格を受け継いでいる。
湖北省は昔の楚の国の地であり、屈原の「楚辞」が浪漫性や神秘的な色合いの歌として知られるように、ダイナミックで豪放磊落な気質が色濃い。
中国から日本へ、工学から美術へ、そして伝統技法から現代美術へと縦横に駆ける江の生き方は自由奔放な湖北気質に由来する。
こうしてさまざまなジャンルを越境しつつ、江は多くのものを吸収していった。
日本に来たときのカルチャーショックはいうまでもないが、特に感心したのは日本文化に根付く美に対する意識の高さ。
日本人は日本文化の源は中国文化と考えるが、江屹は両者の相違にこそ着目する。
中国では壮大であること、永遠の時間、悠久の歴史を謳い上げることはあっても、小さいものや瑣末なもの、 一瞬のものは敢えて無視されている場合が多い。
いわゆる不変をもって万変を応ずる。
芸術家としても、繊細よりはダイナミックの方が評価される傾向が強い。
「中国では広場が多く、昔は石で今はコンクリートなどで広大な敷地を固め、永遠と壮大のイメージを強く印象を付けられます。 それに対して日本では、池を作ったり土を盛り上げて山に見せたり、草木や花を植え込んだりして四季の情緒を楽しみます。 それと同じです。 水墨画も墨の一色で理想郷を壮大に表現する。 一方で日本では道端の花、一匹の虫にも自然や命のはかなさを感じ、身近なものを美しいものと感じ絵にしたり歌にしたりします」
また岩彩は、昔の中国の壁画に使われた古い画材だが、宋・元の時代に文人画が盛んになって以降、技法としては失墜した。
しかし日本では岩彩表現が発展し、その美しさは比類ないと江はいう。
最近では岩彩を用いつつ水墨画の写意の手法で花のシリーズを描く。
それは形よりも精神性、描くときの呼吸やリズムを映す。
そして鮮烈な花の一瞬の輝きを描きこむと同時に存在の永遠の真実を表現する。
それは老荘思想の「無為自然」の境地に近い。
■さらなるステップへ
近年は、自身が歩んできた越境者としてのあり方を歴史的な存在と感じ、この時代を牽引する役割を自覚している。
技術的にも政治的にも世界が緊密になり、人が国境を越え、文化的にもあらゆるものが融合していく現在。
越境的、横断的な文化が今後ますます強まっていくことを認識し、江屹は開拓的な活動を始めた。
その一つは昨年結成した「東京画派」。
東京とその近郊に在住し、現に活躍している16人の中国人画家のグループで、在日中国人として中国とも日本とも違う 第3の芸術の発信を目的とする。 2006年4月には江戸川区の船堀で第一回の展覧会を開催し、11月に上海で開かれるアートフェアにも東京画派として出品される。
もう一つは千葉国際美術協会の旗揚げとコンクール「千葉国際美術展」の主宰。
水墨画、墨彩画、書など東洋美術の公募展で、来年1月千葉県立美術館での開催が2回目となる。
江は中国人画家をまとめるリーダーとして、また協会の理事長として着実なステップで文化的な基盤作りを進める。
しかし自由奔放に感性に従って芸術作品を生み出す制作者としての姿勢は変わりない。
中国出身画家の拠点ともいえる銀座・シルクランド画廊での初めての個展では、花や静物をモチーフにした25余点の新作を発表する。
6号から50号まで、半抽象という言葉では括りきれない異分野が融合した作品世界が一堂に展示される。
一つの側面がその現象すべてを照らすように、作品には何ものにも固執することなく、しなやかに、柔軟にさまざまな分野を吸収した 江屹という人物の現在が凝縮されている。
その意味で多くの期待を秘めた展覧会であることは間違いない。
※『月刊美術2005年12月号』より転載
ギャラリー通信#3(2005年12月)記事より