お客様の声

customer's voice

時計の時ではなく、その絵を眺めることによって、私は日々の時間を確認する幸せをかみしめる毎日となった。

鎌田 和夫 さん

鎌田 和夫 さん

作者の息遣いが伝わってくるようで、 額装の中の一枚の絵に命を感じたのです。

 淡く、やわらかな朝の光が運河を包み込むように揺れながら、静かに、ゆったりと移動をはじめる。それは、木々や建物にかかる陽の光の変化によって教えてくれるのだ。
かかる影は影でありながら、やがて陽に当たることを知っているから、明るい影として佇んでいられる。影は決して陰ではないことを自覚しているから、眺めている人は影を影と感じないまま、見過ごしてしまうのだ。
それが孫画伯の絵だ。

私が最初に孫画伯の絵に巡り会ったのは、確か新聞の文化欄だったと思う。
モノクロの印刷だったけれども、そこには、子供の時から心地よく思い出される優しさと親しみを呼び覚ましてくれる、何かがあった。
母の温もりのような。

早速、銀座のギャラリーへ足を運んだ。水郷の絵と対面した時、私の予感するところは裏切られはしなかった。全く違和感も無く、自然体で絵に接することが出来た喜び。和やかな静寂と安堵が広がっていき、心が安らぐのを覚えたのだった。

一つの画面の中で、朝の淡い光は昼の眩しい光となり、夕焼けの静謐な光に変化していくことを予感させる力の不思議を思わせる。それは、技だけではないことも同時に教えてくれる。優しい説得力を持って。そこに、孫画伯の心の温もりを見るが、ただ、それだけではない力を思う。

心で感じ取ったモノを、時を、そのまま絵の中に消化させ、定着させ、動かしてしまうからだ。なんでもないように見えて、実は見えていないモノを描いている孫画伯の底力を思う。現実でありながら現実とは違った空間に時を閉じ込め、画伯自身の時間を自由自在に動かしてしまう力を感覚する。神が導いてくれる不思議な力。それは不遜な行為かもしれないが、温かな神の手をもって行われるから、孫画伯だけに許された行為といって良いかもしれない。

そして、今、我が家の居間には、孫画伯の絵が架かっている。時計の時ではなく、その絵を眺めることによって、私は日々の時間を確認する幸せをかみしめる毎日となった。