History / 孫 家珮 SILKLAND GALLERY | |||
孫 家珮 ソン カヘイ | Top |作家メインページへ | ||
追憶の水郷風景 | |||
■永遠の憧れ ゆるやかに流れる運河、波をたてることなく静かに進む小舟、帽子を目深にかぶり、黙々と櫂をこぐ舟頭の後姿。 蘇州という言葉から私たち日本人がイメージする水郷風景は、セピア色の古い写真のような、無音の世界。 懐かしいけども、目を開けた途端に遠のいていくおぼろげで輪郭のない思い出のようでもある。 孫家珮さんが描く水郷の風景はそんな私たちの漠然としたイメージに、色彩を加え、音を響かせ、そこに吹く風を感じさせてくれる。 なだらかに蛇行する白壁と黒瓦の民家の隙間には街路樹ならぬ水路樹が陽光をうけて緑の葉を茂らせる。 水面には岸沿いに屋根と樹木がつくった陰が細かな水の揺れを映し出し、家並みを吹き抜けるそよ風を感じさせてくれる。 蘇州は、長江(揚子江)の下流に広がる三角州の東南に位置し、明清時代の中国経済・文化の中心地であった。 土壌も肥沃で湖沼、河川が多く農漁業も発達し、「魚米之郷」と呼ばれる。 交易路として縦横に張り巡らされた運河が現代まで残るうえ、古跡も多く、中国国民にとっても憧れの地。 しかし孫さんにとっての蘇州の水郷風景は、単なる風光明媚な景色以上の存在。 祖母が住む江南の郷は幼少時代の思い出が詰った特別な場所であり、画家として憧れを抱き続ける永遠の地でもある。 「水路の近くにお婆さんが住んでいたので、中学までは毎年、夏と冬をそこで過ごしました。 ここは誰にも邪魔されたくない、私の思い出の場所なんです」 壁や屋根が見せる細かい表情を忠実に再現しつつも、明晰でクリアな写実画とは違った、やや色調を抑えた色づかいの風景。 朝の靄がかった独特の空気や鋭角に差し込む太陽光線につつまれた朝の時間を好んで描く。 写実技法をもとにそこにさらに画家の心象を加えた無時間的な広がりが孫さんの描く風景の特徴。 画家は言う。 「私の絵は、子供の頃の思い出と今の街がミックスされた私だけの風景。 舟が去った後や風が吹いた後では表情が変わるし、朝と昼間でも見え方が全く違う。 そんな水郷の理想の姿を描きたい」 ■来日とターニングポイント 孫家珮さんは1958年上海生まれ。 上海交通大学の美術研究科を修了し、美術活動をする一方、イベント会場で工芸品会社のスタッフとしても働いていた。 ちょうど中国の開放政策により、海外への渡航が可能になったとき、友達が数多く留学していた日本行きを決めた。 88年のことだった。 「画家にとって、特に油絵を描く者にとって、それまでの中国は情報不足でした。 国内で見られるのはロシア絵画やせいぜい18世紀のフランス絵画。 日本は展覧会が多く、近現代の世界の美術が見られます。それが来日の理由でした」 朝夕はアルバイトしながら武蔵野美術学園に通う毎日。 幸い当時バブル経済の真っ只中にあった日本では、仕事に困ることはなかった。 それでも上海にいる奥さんとともに生後2ヶ月の赤ちゃんを育てながらの生活は大変だったと想像できる。 言葉の壁もあったが少しずつ日本になじみ、本格的な画家活動を行ったのが92年。 二科展入選、太平洋展佐々木賞を受賞など、その作品が認められる端緒を掴んだこの年、孫さんにターニングポイントが訪れた。 TIAS(東京国際美術見本市)に全財産を投じて自費で出展したのだ。 国内はもちろん世界中から200ものブースが出展するなか、百万円という決して安くはない金額を払って、自分の作品を見てもらうことにした。 失敗したら、上海に帰る覚悟だったという。 「ちょうど通路に近いところで、場所が良かったこともあるんですが、個人コレクターや企業の方や画家の方など、たくさんの人が見てくれました。 そして、支持してくれたんです」 結果は完売。 金銭的にも1~2年の生活費が出来、制作に打ち込める時間的な余裕も生まれた。 このとき興味をもってくれた画廊で、後に個展も開くことができた。 そして何より、まだ中国の画家がポピュラーでない時代に、無名の自分の作品が認められたことが嬉しかったという。 ■成長と変貌 それから早13年。 紆余曲折はあったものの、確実に画家としての地歩を固めてきた。 水郷風景を描き続けた画家は東京を中心に全国の百貨店でも個展を開催。 パリ、ニューヨークでも発表するまでになった。 取材でお邪魔した千葉・松戸のアトリエで、シルクランド画廊での展覧会に出品予定の数点のタブローを見せてもらった。 どれも孫さんらしい瑞々しい作品だが、しかし以前よりしっとりとした落ち着いた作風。 どの作品も純粋な風景で、多くの作品には人影がなかったのがその理由だろう。 「誰にも邪魔されたくないという気持ちが強くなったのかもしれませんね」 いまも故郷の上海に帰ると、必ず蘇州とその周辺の水郷を訪ねる。 しかし近年ではIT関連を中心にした工業化が進んで昔ながらの街並みが減り、場所によっては一大観光地となって道路沿いの民家が 商店となるなど商業色が強くなってもいる。 ほんのわずかに残された昔の面影を探して、孫さんは毎日歩き回ってスケッチを重ねるという。 日本で孫さんが画家として成長したように、それと平行して憧れの地、蘇州も変貌を遂げた。 現在の蘇州を描きながらも、昔お婆さんとともに過ごした水郷の思い出をそこに重ね合わせた孫さんの風景画は ここで新たなステップを迎えたのかもしれない。 月刊美術2005年9月号より転載
|
|||
↑このページのトップへ |
![]() |